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チカゴロの呉女
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HDDが壊れて更新できないままの「さらら紀行」の日記ページとして、歴史だ、旅だ、フラだと、フツーのオバさんのウキヨバナレ生活を気まぐれに描いてきましたが、2011年7月、しばらくお休みさせていただくことにしました。再開するかどうかは「?」ですが、またどこかでお会いできたらいいな、と思います。
ありがとうございました。
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時代は変わる

2011/07/25 00:29
昨日の正午。アナログ放送が終って、青いバックの文字画面になる瞬間を目撃しました。

……って、まだデジタルに変えてないんかいっ!!と突っ込まれそうですが、二台あったテレビのうち、一台はもともと地デジ化してあったので、アナログのほうは廃棄することにしました。狭い家に二台なくてもいいか、と。
ただ、アナログテレビにはビデオとDVDが両方使えるデッキを接続してあります。それで、昔撮ったビデオテープがまだいっぱいあるんです。捨てるにはもったいない貴重な映像も。それらをDVDに移す作業がまだ終っていないので、当分は録画再生専用にアナログテレビを使い、その後に廃棄しようと思ってます。のんびりした私のことだから、それがいつになるやら。そんな後になってあの古いアナログテレビを廃棄したら……業者さんも驚くだろうな〜(笑)

それにしても、画面が切り替わるのを見て、ひとつの時代が終った、と感じました。思えば、いろいろなものを見送ってきたものです。まあ、まだ見送れずに昭和の生活が我が家の中にはいろいろ残ってはいますけれど。アナログテレビしかり、二層式洗濯機、ラジカセ……まだ愛用中(笑)

今、ほんの短期間だけのお仕事ですが、久々に社会人やってます。
前の会社が倒産してしまってから、一年の歳月が流れてしまいましたし、もう社会復帰はムリかと……求職活動でも、いくつも落ちましたから。やっといただけた今のお仕事は、面接のときには私と同世代がけっこういたはずなのに、実際働いているのは若い人ばかりで、なんで私がこの中に?の状態。今までの環境が自分より年上の人が多かっただけに、世界っていろいろあるものだ、と。
それに……職場がいいところにありまして。
あのラストシーンのエスカレーター、エキストラでシアワセだったあの場所。すぐ近くで窓から見えるんです。仕事中には外を見ている余裕はありませんが、休み時間などウットリと眺めてます。

仕事はいいな、と思います。とくに今回みたいに余裕のない仕事。他に何も考えないでいられますから。
短期ですから、終ってしまえばまたもとに戻ってしまう。また求人を探し、履歴書を出し……と考えると、気が鬱になるので、今は考えないことにしてます。
5月の舞台を無事に終えたあと、決心していた通りにチームを引退し、求職活動をはじめましたが、その頃から……なんていうか、うまく表現できないんですが、自分が自分でないような、自分が自分であることを否定したいような、
そんな気分に苛まされるようになり、自分を見るのがイヤ。思い出すのもイヤ。とてもプログを書ける状態ではありませんでした。今は気が紛れているだけで、その状態が治ったわけではありません。

それで、ずいぶん迷ったのですが、プログはしばらくお休みします。
って、今までだってさんざん休んでいたわけですが(汗)
今は「プログがある」というだけで重たいので、はっきりとお休みすると宣言させていただきます。

一昨日までは、ブログは完全にやめちゃおう、と思ってました。昨日になって、もしかして再開もあるかも……という希望が出てきました。
今年1月に受けた検定で、奈良ソムリエに合格しました。その後ソムリエの「友の会」が発足しました。奈良ソムリエはそのほとんどが地元の方で、関東人は少ないんです。その少ない友の会のメンバーで、昨日初顔合わせをしました。あらかじめメール交換はしていて、メンバーの中では私は若手。(若くなったり、年取ったり、忙しいです(汗))。みなさん「オトナ」の方ばっかりなので、お会いするまで緊張しました。でもお話してみたら、皆さん「奈良好き」の人たちですから、何だかやっぱり楽しくて。以前のように頻繁に奈良に行くことなんかできなくなる……と覚悟はしているんですが、心だけは奈良に飛んでいってるような、行かなくても奈良と共にいるような。
もしかして、こっち関係のことならば、また書き出す可能性もあるかな?と。
それでいろいろ考えた末、古いHPやプログは、私自身の準備が整い次第、順次閉めていこうと思います。それものんびりした私のことですから、いつになるかわからなかったりするわけですが(汗)
そして、このプログは歴史、旅関係の記事だけを残す形で編集し、プログ自体はしばらくは残そうかなと。そうすれば、もし気が向いたならばその方向で再開できますし。

思えばずいぶん長いことネットの世界にいて、いろんな方と出会い、
いろんな方に助けられてきました。
その経験はこれからも生かしていきたいと思います。
そして、また出てくることがあったら……
そのときは、また皆さんとお会いできたらいいなあ、と思っています。
本当にありがとうございました。





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今なら……関西に行こう!キャンペーン中 

2010/10/01 18:53
私が明後日「兵庫出陣」を表明しましたら、「私も行く〜!」メールをいただくと同時に、「帰りに奈良に寄りたいんだけど」というメールも複数いただきました。
そういわれると黙っていられないワタクシ。
この際、皆さん兵庫&奈良で楽しみませんか?劇場は神戸というより大阪に近い。大阪から奈良は近いんです。
本当なら私が皆さんを奈良にご案内したいところなんですけれど、月曜は昼からのレッスンに出たいので、朝には新幹線に乗る予定。それで今日は今ならではの奈良の見どころを「私流に」「基本から」ご紹介させていただきます。

今年は710年に平城京に遷都されてからちょうど1300年ということで平城遷都1300年祭開催中です。お祭りそのものは奈良県各地でいろんなイベントがあって年内ずっとやっているんですが、そのメイン会場である「平城宮跡会場」でのイベントは11月7日まで。今がほとんどラストチャンスというわけで、ここに行きたい方が多いようです。「スマステ」でもやってましたしね。私がこのメイン会場初日に訪れ、完成した大極殿を見た感動についてはこちらに書きましたので、参照してください。
ただし、この「大極殿」はイベントが終ってもそのまま残ります。実はこの会場にある「朱雀門」「東院庭園」「資料館」などはもともとあって、もちろん今後も残るもの。逆にイベントが終るとなくなってしまうのは、シャトルバスのつくエントランス広場に近い「平城京歴史館(遣唐使船含む)」と大極殿の東のほうにある「なりきり体験館」それにイベント会場である交流広場だけなのです。
私としては、今までの経験からこういうイベントのこのテの施設ってあまり期待してなかったんですけれど、奈良ファンとしてとりあえず一度は、と思って先月の連休に行ってみましたら、期待に反して(汗)よかったんです〜。大極殿の東のほうにある「なりきり体験館」では天平衣装体験をしました。初日に行ったときに、外を歩きまわれるタイプの貸し衣装はイマイチ地味、と書いた気がしますが、こちらで貸してくれるのは服の上から着る簡易なものながらもう少し華やか。料金たったの500円でその場で写真をプリントアウトしてくれますし、自分でスナップを撮ることもできます。ただし、時間により人数制限があるので、窓口に行ってから時間の指定を受けることになります。

それから「歴史館」のほうはやはり500円で、復元遣唐使船のデッキにあがれる他、奈良時代について解説する映像展示が4ヵ所。その中の遣唐使シアターでは日中関係がガタガタしているこの世の中で「中国にいろいろ学ばせていただき、お世話になりました。お蔭さまで立派な都ができました」というアニメをやってます(だってホントのことだし)。奈良ファンの私から見て、全体としてなかなか「まとも」な出来。中でも最後に見るバーチャルリアリティーによる平城京シアターは私にとっては鳥肌がたつくらいすばらしかったです。この施設は来場者数に比して小さいので整理券制でして、整理券によって決められた時間に行かなきゃいけないんですが、本来なら、会場の入り口かなんかにデーンとこのVRシアターを作って「これから歩いていただく平城宮跡は1300年前はこういうところでした!!」というのを見て理解してから歩いていただく、というのがよかったんじゃないか、と思います。朱雀門近くのシャトルバスの広場から大極殿まで、だだっ広い空地のようなところを歩いて10分と少し。実際会場で「こんな広いところ、前は何があったんだ?」という声が聞こえましたけれど……むむむ、それがわからないと……。

基本的なことをサックリ説明させていただくと、平城宮跡会場というのは、ずばり世界遺産の一つである「平城宮跡」そのものです。1300年前、この国が「日本」と名乗りだしてまだ間もないときに、ここに「平城京」という都がつくられました。「平城京」というのはほぼ現在の奈良市域一帯にわたって、碁盤の目の道路がつくられて人々が住んだ町全体をいいますが、その北の中心にほぼ一キロ四方の区画が垣で区切られ、その中には天皇が住み、儀式をし、役人たちが通って仕事をした、つまり現在で言う「皇居+霞ヶ関」にあたる特別な区域があった、それが「平城宮」です。今回の会場がまさにその場所にあたり、その入り口朱雀門と、中心施設第一次大極殿がもとあった場所に復元されているわけです。その間の空地の部分には役所や儀式の場がありました。どんな感じかはバーチャルリアリティーで見てください。役所のひとつ、宮内省は「なりきり体験館」近くにある程度復元されています。
奈良の都は100年ももたずに捨てられてしまいましたから、この場所はその後田畑となり、人々から忘れられていきました。幕末になってから平城京や平城宮の研究が進み、この場所の保存にはいろいろと紆余曲折もありましたが(宮跡の中を近鉄電車が突っ切ってるのもそんな過程があって……今ではそれも一つの風景ですが)今は国有地になって国の特別史跡として保存されているのです。空地のようにみえても、発掘調査で建物があったことがわかる場所は段になってたりするし、今も発掘調査は続いているのです。
ちなみに、平安京における元の宮の跡は今はすっかり町になってしまっているので、このように保存することは不可能です(今ある御所はずっと後の時代のものです)。そういう意味でこの「空地」はとても貴重、だから世界遺産に指定されているのです。

さてさて、平城宮跡会場は歴史館とか衣装体験とかが時間に制限を受けるので、時間の予測がつきにくいのですが、できれば平城宮から飛び出て、他の平城京域へも出かけていただきたい。関西在住の方は、また行けばいいけど、遠征してる方は私のようなモノ好きでなければなかなか行けないでしょう? 
会場で何度か耳にしたのは「大仏はどこですか?」。まあ、奈良といったら大仏ですよね。平城宮は平城京の中心北にありますが、東のほうの山の麓に平城京の張り出し部分……外京(げきょう)というところがありまして、ここにまず興福寺、それから東大寺など大きな寺が建てられました。都が京都に移ったとき、寺は置いていかれましたから、この大きな寺の周囲だけが町として残りました。それが今の奈良市街です。近鉄電車やバスで近鉄奈良駅に出れば、阿修羅が国宝館にいる興福寺は歩いてもすぐ、その向こうが春日大社や大仏のいる東大寺。興福寺の南側が最近古い町並みで人気の奈良町一帯です。

でも、今、ということであれば、私のオススメは平城宮跡の南側にある西ノ京地区。タクシーを利用してもそんなにかからないはずですし、大和西大寺駅から南へ2駅目の西ノ京駅で降りれば、薬師寺はすぐ目の前。右(南)の入り口を入ると白鳳伽藍。なぜここがオススメかというと、薬師寺の国宝「東塔」はもうすぐ大修理に入ってしまうので、覆いがかけられてその姿がしばらく見れなくなってしまうのです。薬師寺の建物のほとんどは近年になって奈良時代の姿を予測復元したものですが、東塔だけは創建当初から、つまり1300年近く前からその場所に立っているもので、教科書などにも必ず出でくる、もしかして日本で最も美しい塔といってもいいのではないでしょうか。この薬師寺は平城京の前の都、藤原京から移ってきた、私の大好きな大海人さらら夫妻ゆかりの寺。この寺創建の事情についてなんて私にしゃべらせたら力説しちゃって止まらなくなるからここではやめておきますが、とにかく私には思い入れの強い寺でもあり、この6月に薬師寺に行ったときなんて、泣きそうになりましたもん。修理には10年かかるといいますから、10年先なんて、恋してるかどうかどころか生きてるかどうかだってわからないじゃないですか。「きっとまた会おうねっ!!」とお別れを言ってきたのです。ちなみに今月一杯、この東塔を特別開扉して初層内陣特別公開というのをやっています。塔の扉はいつも閉めてありますので、私も今回はじめて内部を見ました(ただし覗くだけで入れません)。最近ではこれにもけっこう並ぶとか。でも、もし時間がなければ別に並んで内陣を見なくてもいいから、とにかく東塔は見ておいたほうがいい!!

もうひとつ、オススメするなら、薬師寺から北に歩いて数分で着く唐招提寺。あの鑑真和上の寺です。こちらは10年の修理を終えたばかりの金堂(「天平の甍」で有名)が迎えてくれます。ただし、修理と言ってもピッカピカに直すわけじゃありませんので、古色のままの佇まいです。どうして今ここをオススメか、といいますと、平城宮跡とセットなんです。平城宮には奈良時代からあった建物は一切残っていませんけれども、平城宮内にあった東朝集殿という建物が唐招提寺の講堂(金堂のすぐ後ろにある建物)として移築され、その後の改造を受けてはいますが、奇跡的に今に残っているのです。これってけっこうスゴイことだと思いません??

薬師寺や唐招提寺は仏像もすばらしいし、本当は呉女の奈良ツアーを企画したいところですが、今はまだ勉強中の身。次に挑戦する奈良検定のソムリエに合格したら、私が誰かを案内する場合は私の分の拝観料はタダにしてくれるという特典があるんです。ご当地検定にもいろいろあるけど、奈良の場合、奈良の案内人を養成したいと一応本気で考えているみたい。確かに奈良はわかって見るのとわからないで見るのとでは全然違う場所。まあ、私の場合住んでる場所が遠いのであまり現実的ではありませんが、奈良の奥深さにハマり、その魅力を伝えたいっ!という気持ちは東国に住んでいてもホンキなんです。
今回の1300年祭で奈良の魅力の一端に触れ、また奈良に行ってみたいな〜と思っていただけたら、奈良応援団としてとてもシアワセです。またの機会にはできれば是非ご一緒しましょう。
……と言いつつ、書きながら「奈良行きたい病」がウズウズ。その前にトロイアに行くのだよ〜〜〜。

……なんか、私、やたら元気になってきたかしらん?

でも、目下の悩みは今晩の「252」。やっぱりパニック映画は苦手だ〜〜。
録画だけして、あとで静馬さんだけバージョンを作ろうと思っていたけど、その作業を考えるだけで……。
どなたか作っていただけません?(←甘えるなっ!!)






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奈良へ行こう!

2010/05/01 07:34
皆様、ゴールデンウィークをいかがお過ごしでしょうか?
特に関西方面にお住まいで、遠出の予定を立てていらっしゃらない方、奈良の「平城遷都1300年祭」などいかがですか?
奈良ファンとしては、こんなに世間的に奈良が注目されることってフツーないもので、うれしいようなムズムズするような……。本屋でもいつも京都のコーナーの隅っこに申し訳程度についてくるような存在の奈良なのに、奈良の本がデンデン!京都がチョコっ、なんて様子を見るとムニ〜〜っとしてしまいます。いえ、別に京都に恨みはありませぬ。京都検定3級もってますもん(笑)でも、経験的に「奈良と京都のどこが違うの?」という人多数みたいな感じですので、この際奈良の魅力も知っていただきたい!

ってなことで、先週「平城遷都1300年祭」の平城宮跡会場がオープンした初日に早速行ってまいりました!!
……ニュースとか見ててもこの「平城宮跡会場」という言い方が気になるんですけど、確かにお祭りの会場ではありますが、平城宮跡そのもの! 実際平城宮があったその場所そのものである!というのが大事なんです。

その日は午前中お稽古だったので、昼過ぎに新幹線に飛び乗り、気がはやるのでフンパツして普段あまり乗らない近鉄特急に乗り西大寺駅へ。この西大寺駅に「エキナカ」がオーブンしていることにビックリ! その奥に展望デッキまであって、平城宮跡とは逆側だし何が見えるのかと思いきや、京都と大阪の両方からくる電車の合流点、鉄ちゃん向けデッキだったのでありました。……オモシロソウと密かに思ってしまう(汗)
西大寺駅南口から無料のシャトルバスでいざ会場へ(北口から歩いてもそうかわらない気もするけど)。真新しいピッカピカのバスが「始まるんだな〜」という気分にしてくれます。

有料の歴史館とか、パビリオンみたいなものもあるようで、いずれはそういうところも入りたいと思いますけど、とにかくこの日の目的は復元された大極殿です。「さらら紀行」に2003年に平城宮跡へ行ったときのことが書いてありますが、このときには工事ははじまっていたけれど建物はまだ全く姿を見せておりません。これよりずっと前からここへは来ているし、「2010年に大極殿を復元するんだって〜」「そのときまで生きていられるのかな〜」なんて会話を夫婦でしていたものです。それに工事の途中経過を一般公開してくれる日というのが何回かあって、3回くらい途中を見てるんです。まだ色が入ってない状態のときとか、瓦が乗ってない状態のときとか。そうやって見守ってきて、いよいよ完成したわけです。広〜い平城宮跡を南から歩いてだんだん大極殿に近づいていく、そのドキドキ感ときたら……!!

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覆屋がかかった状態ではわからなかった、基壇の高さの感じがグッドです!!
いよいよ中に入ります。

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「本当に出来たんだね〜」「生きててよかったね〜」「事業仕分け前に出来上がってよかったね〜」と夫婦そろって涙ぐみました。こういうものを税金のムダと考える方もいるでしょうが、私たちに言わせれば「よし!税金払ってやる!」という気にさせてくれます。
この大極殿中央にデン!とあるのが天皇がお座りになった高御座(たかみくら)。

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座ってみたいもんですね〜。
平城宮のこの第一次大極殿に君臨した天皇は元明、元正、聖武だけと思われますから、この椅子に座った3人のうち2人は女性なのです。

で、この日特に感動したのがこちら。高御座からは見れないから、その前、大極殿中央から平城宮を見てみる。

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奈良検定でとってもお世話になっている来村先生が、昨日まで放送していたBS2の奈良番組(レポーターの一人が瀬川くんだったのでいつ「武者震いするのう!」と言ってくれるかと期待してたんですが……言うわけないか(汗))のサイトでこの場所について「すわり心地がいい」と表現されているのですが、う〜ん、まさにそんな感じ!
お祭り初日のわりには人が少ないと思います? なにせだだっ広いのです。限られた施設に行列する方はともかく、どんなに押し寄せてもギューギューにはなりません。この広さ、おおらかさが奈良の魅力です。平安宮の大極殿跡なんてとっくに町になっちゃってますから、こういうわけにはいきません。

そして首を左に、東側のほうを見ると、平城宮では外京といわれる、現在の奈良市街が見えます。

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左側に東大寺の大仏殿が見えてます。中央が奈良県庁。右の木のすぐ左に興福寺の五重塔も見えてるんですが、この写真ではわかりにくいですね。

憧れの天平衣装をレンタルで着て平城宮跡を歩ける、というのもあるんですが、衣装のデザインが意外に地味だったので(汗)、今回はパス。最近ハデなものを着慣れているせいかな……。

でもって、このあと、アヤシイと思っていたアレ、やっぱり……で見つけました。

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年末年始に見た場所と同じ、近鉄電車の扉の上。前のが同じスペースで全身写真だったから、あれじゃあ知らない人は内野さんだと判別できない感じでしたが、今度のは大丈夫……だけど、どう見ても倉石さんにも龍馬さんにも見えませんもんね。結局どのくらいの人がわかってくれるかしら。

というわけで、先週末は生きる喜び全開!!(笑)
ゴールデンウィークにでも、そのあとでもいいですから、この機会に是非奈良へおでかけください。といっても、特別な奈良ではなくて、いつもの奈良、仏像でも建築でも古墳でも前からずっと奈良にあるものを見てくださればいいんです。それが奈良の自慢なんですから!

さて、私のゴールデンウィークは。
よりによってこの最中にフラの発表会があるもんですから、これが終らないと落ち着きません。今日もこんな朝から……そう、深夜でなくて、朝、落ち着かないから起きてしまって、こんなことしてるんです。そんなヒマあったら踊る練習でもしてたら、と自分で思うのですが、早朝からバタバタ踊ってるのもダンナにメイワクでしょうしねぇ。
あんなにお稽古お稽古の日々だったのに、いざとなると全然足りない気がするんです。これで本番迎えていいのだろうか?と不安です。舞台に立つことには慣れるどころかだんだん怖くなります。特に発表会はコンペと違って何曲も踊るので、そのときそのときにその曲にいかに集中できるか、です。お稽古中でもちょっと神経がヨソへ行くと、すぐに間違えたりします。緊張した本番でどうなることやら……。
でも、次の発表会まで踊っているとは限らないし、この私が舞台で踊れること自体夢のような話なんだから、楽しまなきゃソンなんですよね。
いざ、出陣です。
お忙しい中わざわざ見に来てくださる皆様、どうか暖かい目で見守ってやってくださいませね。よろしくお願いいたします。


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ドラマチック阿修羅

2009/04/11 10:36
昨日は「ゴンゾウ」の古沢さんが向田邦子賞受賞のニュース! おめでとうございます!!
なんてったってドラマは脚本ありき、ですからね〜。
内野さんの出演作では「ふたりっ子」「不機嫌なジーン」についで三作目。すごすぎるっ!!


さてさて、先週から書こうと思っていた東京国立博物館の「阿修羅展」の話です。書いてしまわねば、なんとなく落ち着かないのです。
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私、この展覧会は歴史とかお寺とかに別に興味のない方にもオススメします。
わりとこのテの展覧会は「めずらしいものが出ているらしいから」「話題になってるから」とやたら人は来てるけど、そもそもあまり興味のない人にとってはどーなの??と思うものが少なくないんですが、この「阿修羅展」はヒジョーに構成がシンプルなんです。展示してあるものにどういう意味があるのか???と多くの人が思ってみてる……という感じがなく、仏像に焦点を絞った展示で、そのすべてが仏さまとしてみても美術品としてみてもスバラシイ。

最初の展示室は「鎮壇具」の展示。阿修羅像がある奈良の興福寺が今の場所にできたのは今から1300年前。平城京ができたのと同じ710年。そのときに土地を鎮め(今でも地鎮祭ってやりますよね。あんなふうな意味かな)その寺が永遠に栄えることを願って土に埋められたお宝の数々です。そのわりには興福寺の歴史は災難の連続だったんですけれどね〜〜〜。栄えたことは確かだからいいのかな〜?? ま、このお部屋はプロローグとしてサラっと見てもよいと思います。

この展覧会のスゴイところは、阿修羅像を含む「八部衆像」八体と「十大弟子像」六体(「十」だけど現存するのは六体)、いずれも奈良時代に作られた国宝の仏像が団体さんで揃ってお出ましになっていること(4月19日以降はそのうち三体はお帰りになられるようです)。
それらがズラズラっと並ぶ第二室に入る前に小さな展示室があり、そこには「橘夫人念持仏」の阿弥陀三尊像とその厨子が展示されています。私はこの阿弥陀三尊像がもともと大好きでしてね〜〜〜!! これがお目当ての一つだったくらい。ただし、この阿弥陀さまは興福寺ではなく、普段は法隆寺にいらっしゃいます。それがどうして「興福寺」をテーマにした展覧会にいらっしゃるのかというと……。
「橘夫人」というのは平城京の興福寺を創建した藤原不比等の奥さんの橘三千代のこと。この二人の間に生まれたのが聖武天皇の皇后となる光明皇后。興福寺にはいくつものお堂があるんですが、「八部衆像」と「十大弟子像」はその中の「西金堂」という、光明皇后が母である三千代さんの一周忌に建てたお堂にあり、その一周忌に間に合うようにこれらの仏像群をつくらせたらしいんですね。そういうご縁でのお出まし、ということだと思います。バリバリ女傑のイメージのある三千代さんの念持仏にしては繊細すぎる仏さまだな〜、イメージ違うな〜と常々思ってはいるのですが(三千代さんに会ったことないし(汗))、とにかく穏やかというかかわいらしいような仏さまのお顔といい、その乗っておられる蓮の花、その下の蓮池、光背……すべてが繊細でエキゾチック。今回展示されている中でもっとも古いものなんですが、そのデザインといいなんといい、新鮮な輝きを今も放ちつづける、ホントに素敵な仏さまです。
……と、ここもまだ序章なので、これからが本番。

この展覧会のテーマは興福寺の中でも特に光明皇后が三千代さんのために建てた、その「西金堂」なんです。
興福寺の伽藍がほぼ整うのは創りはじめて約100年後の平安初期。中金堂、西金堂、東金堂、講堂、五重塔、北円堂、南円堂。それから平安の末頃に三重塔もできますが、その少しあと1180年の平重盛による焼き討ちで全焼。これ以外にも何度も消失と再建を繰り返し現在に至ります。このうち中金堂、講堂と西金堂は江戸時代後期に消失したまま現在はありません。中金堂は来年から再建工事がはじまる予定で、完成後のバーチャル映像を最後の展示室で見ることができます。西金堂は、もともとこれだけの仏像が安置されていたお堂でありながら、幻のお堂なんです。それで西金堂の内部がどんなだったのかイメージしてみよう〜というのが今回の展示の目的、といってもいいんじゃないかな? 

というわけで、ここからは展示レポではなくて、私が展示を見てから本で読んだ(「阿修羅展」については何冊かの本が出ていますが、私はそのうち「芸術新潮三月号ー阿修羅のまなざしー」を読みました)内容も入れて、少しだけ「阿修羅展」を見るための呉女流解説(?)です。
日本でお寺や仏像がさかんに作られるようになるのは7世紀。いわゆる「飛鳥文化、白鳳文化」の時代です。それが8世紀に入って久々に遣唐使を出して勉強してきたところ、唐では「経典」が大事で、「経典」にしたがって仏像もつくるということが行われていることがわかった。それで「金光明最勝王経」という経典の中の一場面を仏像で表現したのが「西金堂」内部だったらしい、ということなんです。今も残るものでいえば、空海がつくった京都の東寺の講堂内部が曼荼羅を立体的に表した仏像群ですが、イメーとしてはあんな感じかなあ?と思っています。つまり阿修羅を含む「八部衆」も「十大弟子」もその経典の中の登場人物なんですね。その一場面というのは……
お釈迦さまが説法をする。その内容は「懺悔」に関するもの。もともとはインドの神々だった八部衆やお釈迦さまの十大弟子が集まってきて、その説法を聞く。一人の波羅門が金鼓を打ち鳴らす。その妙なる音とともに説法は諸人の心に染みわたっていく……
というような感じらしいのです。阿弥陀三尊の部屋の次の小部屋には、この内容を絵に描いた「興福寺曼荼羅」の写真があるのが参考になりますし、展示されている「華原磬」はこの「金鼓」にあたるもので、「八部衆像」たちと同じく創建当時から西金堂にあったとされる国宝です。イヤホンガイドを借りると華原磬の妙音を聞くこともできます。

さて、いよいよ二つ目の大きな部屋が「八部衆像」と「十大弟子像」。天平文化を代表する仏像群です。脱活乾漆造りという技法で、身長150センチ程度という呉女と同じ身長でありながら、体重は15キロくらいという羨ましくもない軽さ。この軽さこそが何度も火災にあいながらもそのたびに運び出され生き延びてきた要因といわれます。その貴重な仏像群はあーだこーだ言わずにそれぞれにご鑑賞ください。ちなみに私は前々から十大弟子像の中の須菩提さんのファンです。十人の中で一番若い、というのは今回知りましたが、そのボ〜〜〜っとした雰囲気が……いやいや失礼にあたるから、やめとこ……。
で、今回の主役、阿修羅さんだけが特別扱いでその次の別室を一人だけで占領し、私たちはその周囲をくるっとまわって鑑賞できるのです。ただし混んでいるので「立ち止まらずにご覧ください〜」状態ではあります。
須菩提さん贔屓の私としては、この展示を見る前は阿修羅さんに特別の思い入れはなく、最初は「アナタだけ特別扱いかいっ!」とかチャカしてたんですが、阿修羅さんのまわりをゆっくりまわっているうちに気が変わって、目がウルウルしてきて、その部屋を出てくるときには「さすが阿修羅さんはドラマチックだわ〜〜」と、思い切りファンになってました。
「阿修羅」はインドの最高神であるインドラ(仏教では帝釈天)に何度も戦いをのぞんだ暴れん坊。それが後に仏教に帰依して仏教の守護神の一人となった……というのはわりと有名な話。つまり戦う神ですから、その名の通り「憤怒」の表情で表現されることが普通なんです。ところがこの興福寺の阿修羅は三つの顔をもちながら、どれも全然怒った顔でない。この穏やかで静かな表情から何を読み取るも人それぞれでいいのですが、上の物語と合わせて考えると、ちょっとその謎が解けるかもしれません。釈迦の説法に聞き入っている阿修羅。しかも説法の内容は「懺悔」。もしかしたら、阿修羅が仏に帰依した瞬間かもしれません。異教の神が過去の過ちを悔い、新たなる自分への一歩を踏み出す……。
「天平の美少年」とかってそのイケメンぶりが強調されるから、何となく私は阿修羅に反発してたのかも。阿修羅の魅力はこの「振り幅の大きさ」(!)なんだわ……と私も悔いあらためてしまったのであります。その後、ダンナに自分の感動をあーだこーだと必死に伝えようとして「いわば武田に仕えた勘助さんみたいなものかしら??」「う〜〜ん。そうかぁ〜〜??」「あら、違う〜〜〜?」

さて、ここまでは創建当時から伝わるお宝たちでしたが、第3室は趣のことなる鎌倉期の仏像群です。平重盛に焼き討ちされて丸焼けになった興福寺でしたが、さすがは藤原氏の氏寺です。さっさと復興するんです。そのとき慶派の仏師たちによって作られた仏像たち。天平物の静けさとは全く違う躍動感。特に部屋に入ってすぐ、大きな四天王が四対、ところ狭しとそそりたっているのは、すごい迫力です。その奥にいらっしゃるのが、これまた大きな薬王菩薩と薬上菩薩。これら六体は現在、元の講堂跡にある仮金堂に安置されていますが、来年着工の中金堂が完成すれば、そちらにお遷りになられるそうです。最後に運慶作であることが判明した釈迦如来の頭部と仏手など。これは西金堂の本尊として復興され、阿修羅たちを従えていたらしいのですが、その後の火災で今のようなお姿に。
「仏頭」といえば、普段の阿修羅さんたちの安置場所である興福寺国宝館には一時東金堂の本尊だった白鳳時代につくられた仏頭があり、私が国宝館に行った際にはこの仏さまの前にいる時間が一番長いんですが、やはりずいぶん感じが違います。人間的なリアリティがあふれ、これからは武士の時代だぞっとでも言いたげな鎌倉期の仏たちの力強さ。これを感じていただいて、最後の部屋では前述の中金堂のバーチャルと阿修羅像の映像を見て、この「阿修羅展」は終わりになります。
ホントにシンプルで展示数は少ないんですよ。なのに、なぜか私たちはこの空間に2時間半くらいいたみたい(汗)。出てきて外が暗いので、時計を確認してビックリ!!
先日も書いたように金土日祝は8時まで時間延長。この延長された時間は比較的空いているようです。今のところは、ですが。

「阿修羅展」は東京国立博物館が6月7日まで。7月14日から9月27日までが九州国立博物館。その後、奈良に帰ると阿修羅さんたちもすぐには元の国宝館には入らず、10月17日から11月23日まで、今回お出ましくださった仏さまほぼみ〜んなで仮金堂にお並びになるそうです。
今回展示をみている間、周囲の人の会話で「興福寺は行ったことないなあ」という言葉を何度も聞いたんです。私なんぞは奈良の町に行くたび興福寺境内を「散歩道」にさせていただいちゃってますから「へぇ〜〜」と思っちゃいますが、考えてみれば団体さんで直接東大寺の駐車場にバスで入ってしまえば通りすぎてしまう。電車で行っても登大路を歩いてしまったら、やはりその横を通りすぎてしまう。意外に盲点なのかも。近鉄奈良駅から地上にあがり、東向き通りを少し南下すると、左に曲がる坂道がありますから、それを登ればもう興福寺境内です。境内を歩くのはタダです。人も歩けば鹿も歩く!!
機会があったら是非行ってみてくださいね〜〜。

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奈良県庁の屋上から見た興福寺。五重塔の手前が東金堂。その手前が国宝館。


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奈良の花便り

2009/03/31 08:35
今日からBShiで「風林火山」の再放送がはじまるんですね。夕方6時というのは毎回見れる時間でないのが悩ましい……。現に今日もムリ。録画してもまた録画だらけになるしなあ。でも、また再放送があるというだけで嬉しいです。

発表会が終ってほっこりしたところで、旅に出ていました。いつもの関西帰省ですが途中からダンナは義母と温泉へ。そちらは親子水入らずにして、私は久々の一人旅。奈良へ行ってました。
奈良リピーターの私も、奈良で桜を見たことはないので、今年は見れるかと楽しみにしていたけれど、一昨日の時点で奈良公園の桜は見ごろにはまだまだ。唯一咲いていたのは、奈良公園で一番早く咲くことで知られる、氷室神社のしだれ桜。ただし、バスに乗って前を通過するときに見ただけなので、ほんとうにチラッと。

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バスに乗って私が向かった先は奈良公園のはずれの高台にある白毫寺。
桜がまだだということは……椿なら咲いているかも! と白毫寺の五色椿を見に行ってみたのです。
そしたら、盛りは過ぎていたと思われますが、咲いていました!!

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この白毫寺「五色椿」は奈良県の天然記念物にも指定されている名木で、大和三名椿の一つなんですよ。(あと二つは東大寺開山堂の「糊こぼし」と、わりと街中にある伝香寺の「散り椿」)。私はまだどれも見たことがなかったから、感激でした〜。

この白毫寺を訪ねるのは二度目。しかも20年ぶり!!
その20年前というのは会社の研修で奈良へ行ったときに、グループ行動してなきゃいけないのに当時から奈良好きだった私は勝手に単独行動をしまして(汗)、一人で訪ねたのです。そのときはもっとさびしい道を歩いていったような気がするんだけれど……。それに平日の夕方で境内には他に誰もいなくて、本堂裏の収蔵庫に入ると迫力あるお顔をなさった閻魔さま! ワルイことをしてる後ろめたさも手伝ってか「ギャ〜〜〜っ!」と叫びたくなるくらいコワかった……(一応弁解しておくと、このときの研修そのものはマジメにやって大成果をあげすぎ、そのためにその後の自分の仕事をやたら忙しくしてしまった、という若き日の思い出のひとつでして、遊んでいただけではないのです〜)。
多分、そのせいで、この寺から一望できる景色のすばらしさなど、記憶になかったのです。

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正面が生駒山。この写真ではわからないけれど、右手のほうには平城宮跡や興福寺の五重塔も見えるんです。
天気もよくて、最高〜〜! ちょっと寒かったですけれどね。


実は、三ヶ月間こちらを冬眠していた間に、踊る以外にやったことがもう一つ。奈良検定。
3年ほど前、京都検定三級に受かった話は前のプログに書いたことあるんですが、確かちょうどその頃、奈良検定も創設されて、「奈良派」の私は早々にテキストだけは購入していたのです。でも「今年は風林火山で忙しいし」「今年はフラで忙しいし」……なんて言ってるうちにテキストは開くこともないまま時は過ぎ……。
昨年11月。フラのコンペが終わり、「私生活」観劇で大阪に行って、奈良と大阪を行ったり来たりしていたあのときに、奈良検定の要項を駅で見つけ、思い出したのです。試験は1月。ただでさえ主婦業をサボっていたところに、暮れの忙しいときにわざわざ試験など……としばらくは悩みましたが、ナニが忙しい、カニが忙しいなどと言っていたら、いつまでたっても受けられない。今回から奈良検定の初級である二級は東京でも受験できるということだったので、とりあえず受けてみるか、と一大決心。およそ一ヶ月、極力通勤時間中を利用してのにわか勉強の末迎えた受験当日、東京会場にはあの「せんとくん」も応援にきてくれて、握手しちゃいました(意外とかわいかった!(笑))
そのご利益があったのか、2月下旬に合格通知がきました。にわか勉強にしては高得点でした。私ってハワイ語の歌詞はなかなか覚えられないのに、こういうことはまだ覚えられるんだわ〜、と感心したものの、覚えたことを忘れるのもまた得意! すでにかなりを忘れてしまっている……(汗)
テキストを読んで発見したことには、私の知らない奈良がいっぱいある!! それは京都以上でした。京都の出題範囲が比較的京都市内に偏っているのに比べ、奈良は県全域に名所が散らばっています。私って奈良や明日香が大好きでリピートしてるけど、空気を吸うだけで満足しちゃって、ついつい同じところばかりを訪ねてしまう。それでほとんど行ったことのない地域、私の知らない場所があまりにいっぱいあることに大ショック! 二級はとりあえず基礎問題だし(それでも一般的にはかなりマニアックなんだと思う)、時代としては得意の奈良時代からの出題が多いからなんとかなったけれど、来年一級をめざすにはこれではいけない。行ったことのないところのことって、覚えようとしても記憶に残らないのです。
そういう意味では地元でない人がこういうご当地検定を受けるのはゼッタイ不利なんです。でもせっかくですからこの機会に、もう一度奈良を見つめ、いろんなこと……たとえば仏像のこととか建築のこととか古墳のこととか……を勉強しなおして、大好きな奈良をキワメたい!! ついでにテキストに載ってるようなところは片っ端から訪ねちゃいたい!!という欲望が沸いてきまして……。

ということで、今年は折に触れ機会をとらえて、貪欲に奈良を巡ろうというのが、私の一つのテーマ。そして、こういうところに書くということが、記憶に残すための有効な作業なので(たとえば「さらら紀行」のほうにかつて「お水取り」について書いたりしましたが、あのときずいぶん勉強したお蔭で、お水取りについては今だに得意だったりしますし、そういうところを残しておきたいがために、更新できないのに消しちゃう決心もつかないんです)、できる限り行ったところのことは書いておこうと……今のところは思っているんです(予定は未定)

とは言え、よそモノである上に、交通の便がよいとはいえない奈良において車の運転ができないから頼りは公共機関と自分足のみ(そのうちダンナの協力も依頼しますが)。今の時点では知らないことも多すぎて、奈良検定を受検する方がたまたま来てくださっても、参考になったりはしないと思いますが、逆に地元の方とかに教えていただけることとかがあれば、是非よろしくお願いしたいっ!と思っているところです。



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伝えられるものと去ってしまうものと。

2008/12/05 01:10
冬がきちゃったし、この秋の旅の思い出とか、少しは書いておこうかと。
今年見た紅葉はこれ。
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先週末に行った伊勢神宮の内宮。五十鈴川の河畔です。
先週末は私たち夫婦にとってある記念日にあたっていて、その記念にどこかに行こう、そうだ、10年ぶりくらいでお伊勢参りに行こう!なんてことになってお参りしてきたのでした。
なんとなく厳かな雰囲気の伊勢神宮……なんて期待していたら、とんでもない、すごい人、人、人。まあ、昔からお伊勢参りというのはこういう賑やかなもんだったんでしょうけれど。でも五十鈴川のほとりは、なんだか心が洗われるよう。実際ここは禊の場所。本来なら水に浸かって清らかになりたいくらいですが。
そういえば、9月にハワイに行ったときには、ハワイの神聖な川で実際に水に浸かって禊をしたんですよ。ハワイも自然のそこここに神がいる。日本の八百万の神と似たような感じだし、こういうことってけっこうに西でも東でも普遍的なんですね〜。

伊勢神宮には外宮と内宮があって、本当は外宮→内宮と参拝するべきで、前回(10年くらい前)行ったときはそうしたんですけれども、今回は時間の都合で申し訳ないけれど外宮参拝は省略して、そのかわり前回行けなかった神宮徴古館という博物館へ行ってみたんです。これが感動しましてね〜〜〜〜!!
伊勢神宮の歴史とか祭祀とかについてのいろいろな展示がなされている博物館で、式年遷宮で徹下された神宝類も展示されているんです。伊勢神宮では「式年遷宮」で20年毎に社殿が建て替えられ、そのために古い様式が常に新しく継承されて残されてきた、ということは認識していましたが、その際社殿だけでなく「御装束・神宝」もすべて一新される、ということはあまり頭にありませんでした。
それが展示室に入ってまずビックリ!
「天蓋だ〜〜!」。神様の遷すときにさしかける大きな「かさ」なんですが、ちょうど三週間前に正倉院展で見た「天蓋」……そちらは軸と布とが別になっていましたが……と同じ形のものだったんです。正倉院展はものすごい数のある正倉院御物の中から毎年60点ほどが選び出されて展示され、その年によって目玉とかテーマとかがあったりするんですが、今年はこの「天蓋」関係がまとまって出陳されていたので、ひときわ印象的だったのです。他にも、たとえば鏡、太刀……。正倉院展で見るようなものが、「昔のもの」ではなく、「ついこの間まで使っていたもの」として、そこにはあったのです。しかも、正倉院御物にはそのものをしまう「箱」がつきものなんですが、それもまたそっくりの形で。デザインこそ正倉院よりは「日本風」になっているものの、その他はそっくり、なんてものがそこここに。
正倉院に1300年の時をへて伝えられる多くの御物が存在することもすばらしいことで、その伝えられた「実物」の感動を味わいに毎年正倉院展に通ってしまうのですが、20年毎に作り変えられるという、また別の形で伝えられた「技術」とか、それを伝えてきた「人」の存在があった!! そのことに感動しまくった今回の伊勢の旅でした。今に生きてる正倉院というのかなあ。
平成25年の式年遷宮に向けて、すでに着々と準備が進んでいるようですから、こういった神宝類もすでに作られはじめたりしているのかもしれませんね。

別の正倉院、といえば、11月には「地下の正倉院展」と称して平城宮跡資料館で長屋王家木簡の実物が展示されていたんです。それを正倉院展でチラシを見て知って、思わず資料館へタクシーを飛ばしました。タクシーの運転手さんが「へ〜、長屋王木簡の実物が出てるんですか? 明日休みだから見に行こうかなあ」というノリのいい方で、その長屋王木簡が発掘された旧奈良そごう(今はイトーヨーカドー)の前を通ると「奈良そごうがダメになったのは長屋王の祟り、なんて言われましたねえ」「そうでしたなあ」なんて会話まではずんじゃって、地元ならではの「へえ〜そうだったんですか!」なんてお話も聞けて……楽しかったなあ〜。その木簡の実物、小さな展示室でしたから点数はさほどではなかったけれど、やはりホンモノの迫力ってのがありました。私としては写真展示のみだった「後皇子命」(長屋王の父、高市皇子のこと)木簡の実物が見たかったな〜。思えば高市皇子は私が一番長く恋してる相手かもしれない。10代の頃からずっとだから。ま、一途に、とはいえないけれど(笑)

そういえば、2010年放送の古代史ドラマ第三弾が「大仏開眼」だそうですね。高市皇子やさらら様が活躍する「壬申の乱」はすっ飛ばされたか……。まあ、2010年は平城遷都1300年の年だから、奈良時代のビッグイベントとしてこのテーマが選ばれたのでしょう。……ということは、大仏開眼会に登場したホンモノの呉女ちゃんも登場するんだろうな〜(実は呉女ちゃんは「聖徳太子」にすでに出演済み)。それに正倉院御物の再現とか、お金はかかるかもしれないけれど、やってほしいな〜〜。……とか、すでにこのドラマのあーだこーだにいろいろ思いをめぐらして楽しむ今日この頃であります。

ところで、私が「地下の正倉院展」経由で大阪に走り「私生活」観劇をしていたころ、正倉院展では行動を共にしていたダンナは岡山へ。何をしに行ったかというと、先月いっぱいで定期運行を終らせた0系新幹線に乗りに行っていたんです。ダンナは「乗りたいな〜。でも岡山まで行かないと乗れないんじゃお金かかるし……」とか奈良の宿でウジウジ言ってるもんで、「今しかできないことは後悔しないように多少お金がかかっても行ってらっしゃいっ!」と私が送り出したのでした。最近になって「さよなら0系」のニュースなどを見るにつけても「乗ってきてよかった」と言ってます。正直……私も乗りたかった(汗) やっぱり私らの世代からしたら、新幹線と言ったらなんてったってあの団子鼻の0系ですよね〜。それがいなくなっちゃうなんて、ニュースを見ながら泣きそうになりましたよ……。
ダンナが0系に乗りに行ったときに買ってきたお弁当の容器がコレ。陶器製で永久保存版です。
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筋肉痛のワケ

2008/05/01 23:48
内野さんの舞台に通っていたために、ものすごい勢いで過ぎ去っていった3月に比べれば「なんと時の流れの遅いことか……」と思っていた4月も、気がついてみたら去っていた……(汗) 後半は風邪をひいて体調がいまひとつ。もっとやりたいことはいっぱいあったのになあ。

今朝起きたら、体中に筋肉痛。なんでだろ?と考えたら……多分、靴のせい。
世間ではゴールデンウィークなんだそうだけど、この前半は私もダンナもカレンダー通りの休みしかなく、しかも29日は私の実家の法事で関西へ。法事というのはそれだけでも疲れるものだけれど、今回はその前日仕事が終ってすぐに新幹線に乗り、法事の翌日朝帰ってきてそのまま出勤しました。その3日間、ずっと法事用のフォーマルの靴を履いていたんです。それが法事が終ったあたりからつらくなりましてね〜。それなのにウロウロほっつき歩いたりしてたもんだから、昨日も足は痛くてしかたがなかったんだけど、今日になったらそれが全身の筋肉痛になるとは!

ほっつき歩いた……というのはですねえ。「白鳳仏三昧」をやったんです。
法事で行った先は京都の南山城。ついでに、この南山城にある蟹満寺というお寺にある白鳳仏を見せていただいたのです。蟹満寺は小さなお寺ながら「蟹の恩返し」の説話で有名なんですが、そこにあの薬師寺の薬師如来とも並べられる丈六の釈迦如来が存在していることはどのくらい知られているでしょうか? しかも貴重な金銅の白鳳仏。発掘調査の結果、七世紀末から存在し、その位置も動いていないらしいことがわかったのです。文献には一切出てこない謎の大仏。現在本堂を新築中で仮本堂(単なる倉庫みたいなところ)に安置してあって、これからいろいろ科学的な調査をするのだそうです。
私はこの仏さまにはご縁があるんだか……小さい頃、お堂に入ったとたんすごい勢いで泣いたらしいし、その後も何度か訪れるたびに体の具合がどこか悪くなる(汗) なんか霊力みたいなものにひかれてるのと違うかな?と思っていて、そう気楽には近寄れない場所でした。今回すごく久々に訪れたんですが、もしかしてこの筋肉痛も七世紀からのお呼びだったりして……。
その後、私は親族たちと離れて、一人奈良の薬師寺へ向かいました。近鉄に乗ればさほどの距離ではありませんから。ちょうどその3日前の週末には上野の東京国立博物館に薬師寺展を見に行っていました。月光菩薩と日光菩薩、それに聖観音。同時代の仏さまを堪能したところでした。と同時に、これらの仏さまがいなくなってしまった薬師寺はどんな感じなのかしら?、ご本尊はさびしくないのかしら?と気になっていたところ、よく似た蟹満寺の仏さまを見たら、どうしても薬師寺の仏さまにも会いたくてしかたなくなったんです。すでに足は痛かったのをこらえての一人旅でした。
日光・月光菩薩がいた場所には等身大の写真が飾られ、思ったほどご本尊はさびしそうではありませんでした。薬師寺展の図録にも「蟹満寺釈迦如来像と作風が近い」と書かれていたけれど、こうして比べてみると、全体の感じといい、大きさといい、想像していた以上に二つの仏さまはよく似ていました。薬師如来さまのほうが表情は優しげな感じ。蟹満寺のほうが少ーし時代が前かもね……な〜んて素人目には感じる程度。こちらはこんなスターさんでいらっしゃる。もう一方は……。
そうそう、東院堂の聖観音像のほうはお厨子の中に「複製」のお像がしっかりおさめられていて、「現在出陳中」という看板を見なければホンモノがそこにいないことはわからないくらい。うーん、ダマサレルもんだなあ。
足が痛いにも関わらず、伽藍を南に出て、薬師寺の鎮守、休ヶ丘八幡宮にはじめて行ってみました。何度行ったかわからない薬師寺ですが、いつも西ノ京駅を降りてすぐ伽藍の北から入ってしまうので、南に出たことがなかったんです。それが今回行く気になったのは、「薬師寺展」の第一室でこの八幡宮の再現をしていたからでした。僧形八幡神像など神像三体、その他脇殿に飾られていた神像も、本来あった形で表現されていました。このような出陳品数は抑え、博物館の空間を利用して「見る」というより「体感する」ことを重視した展示の仕方を最近時々見るような気がしますが、とてもいい傾向だと思っています。
で、八幡宮で神仏習合の雰囲気に浸っていたら拝観時間の5時を過ぎ、再び伽藍に入ることはできなくなったので痛い足を引きずり遠回りをして駅へ戻ったのでした。
残念なのは今回カメラを持っていくのを忘れたこと。そもそもは単に法事で行ったわけですから。
ホントは「薬師寺」の話なんて、書きだしたら止まらなくなるんです。何しろ、大海人さまとさらら様の寺ですからね。眠れなくなっちゃうから、今日のところはやめにして、とにかく、靴のせい……というか、七世紀にひっぱられて筋肉痛になったってことです(笑)

でも、今日は朝ゆっくりお湯につかって体を少しは動くようにして、フラのレッスンに出かけました。今日のべーシックコースのレッスンは、私が約5年通い続けたクラスなんですが、先月から私はクラスを異動させられまして、ま、上のクラスに行けというお達しなのですからありがたいことではあるんですが、私はこのクラスを捨てられないのです。先生も細かいことまで注意してくれるし、自分としてはまだまだ基礎をみっちりやりたいし、仲間たちも気心が知れてて心地いい。結局自主的にレッスンには出てきてるから今までと同じなんだけれど、ステージに出るときなどは違うチームになってしまうから、そのことがさびしくてまだ仲間たちに「違うクラスになった」と言えないでいるんです。けど、仲間たちは先生から聞いているのか多分みんな知ってる。それでいてあえて私には何も言わないでくれているみたい。
レッスン後のおしゃべりしながらのランチも楽しい。仲間の中では私は若いほうだけど、20才くらいの年の差は平気で飛び越えて(私が失礼なだけかも(汗))和気あいあいとやってます。そしてみんな本当にフラが好き。
こんなクラスの中にいると、いつのまにか自然に痛みもほぐれて楽しく踊ってる……。
が、帰ってきてから猫の額ほどの庭の草取りをやったら(ほったらかしにしすぎたのがよくないんだけど)また足腰の痛みが復活(汗) 踊るためにももう少し足腰鍛えなきゃね〜。

そうそう、「シリウス」の原作はこの間に読み終えました。「ラブ・ジェネ」は録画しっぱなしでまだ見てません。前に一、二度はビデオで見てますけどね。そのうち、内野さんの出てるシーンだけを編集しちゃうんだろうな。
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