チカゴロの呉女

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<<   作成日時 : 2009/04/11 10:36   >>

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昨日は「ゴンゾウ」の古沢さんが向田邦子賞受賞のニュース! おめでとうございます!!
なんてったってドラマは脚本ありき、ですからね〜。
内野さんの出演作では「ふたりっ子」「不機嫌なジーン」についで三作目。すごすぎるっ!!


さてさて、先週から書こうと思っていた東京国立博物館の「阿修羅展」の話です。書いてしまわねば、なんとなく落ち着かないのです。
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私、この展覧会は歴史とかお寺とかに別に興味のない方にもオススメします。
わりとこのテの展覧会は「めずらしいものが出ているらしいから」「話題になってるから」とやたら人は来てるけど、そもそもあまり興味のない人にとってはどーなの??と思うものが少なくないんですが、この「阿修羅展」はヒジョーに構成がシンプルなんです。展示してあるものにどういう意味があるのか???と多くの人が思ってみてる……という感じがなく、仏像に焦点を絞った展示で、そのすべてが仏さまとしてみても美術品としてみてもスバラシイ。

最初の展示室は「鎮壇具」の展示。阿修羅像がある奈良の興福寺が今の場所にできたのは今から1300年前。平城京ができたのと同じ710年。そのときに土地を鎮め(今でも地鎮祭ってやりますよね。あんなふうな意味かな)その寺が永遠に栄えることを願って土に埋められたお宝の数々です。そのわりには興福寺の歴史は災難の連続だったんですけれどね〜〜〜。栄えたことは確かだからいいのかな〜?? ま、このお部屋はプロローグとしてサラっと見てもよいと思います。

この展覧会のスゴイところは、阿修羅像を含む「八部衆像」八体と「十大弟子像」六体(「十」だけど現存するのは六体)、いずれも奈良時代に作られた国宝の仏像が団体さんで揃ってお出ましになっていること(4月19日以降はそのうち三体はお帰りになられるようです)。
それらがズラズラっと並ぶ第二室に入る前に小さな展示室があり、そこには「橘夫人念持仏」の阿弥陀三尊像とその厨子が展示されています。私はこの阿弥陀三尊像がもともと大好きでしてね〜〜〜!! これがお目当ての一つだったくらい。ただし、この阿弥陀さまは興福寺ではなく、普段は法隆寺にいらっしゃいます。それがどうして「興福寺」をテーマにした展覧会にいらっしゃるのかというと……。
「橘夫人」というのは平城京の興福寺を創建した藤原不比等の奥さんの橘三千代のこと。この二人の間に生まれたのが聖武天皇の皇后となる光明皇后。興福寺にはいくつものお堂があるんですが、「八部衆像」と「十大弟子像」はその中の「西金堂」という、光明皇后が母である三千代さんの一周忌に建てたお堂にあり、その一周忌に間に合うようにこれらの仏像群をつくらせたらしいんですね。そういうご縁でのお出まし、ということだと思います。バリバリ女傑のイメージのある三千代さんの念持仏にしては繊細すぎる仏さまだな〜、イメージ違うな〜と常々思ってはいるのですが(三千代さんに会ったことないし(汗))、とにかく穏やかというかかわいらしいような仏さまのお顔といい、その乗っておられる蓮の花、その下の蓮池、光背……すべてが繊細でエキゾチック。今回展示されている中でもっとも古いものなんですが、そのデザインといいなんといい、新鮮な輝きを今も放ちつづける、ホントに素敵な仏さまです。
……と、ここもまだ序章なので、これからが本番。

この展覧会のテーマは興福寺の中でも特に光明皇后が三千代さんのために建てた、その「西金堂」なんです。
興福寺の伽藍がほぼ整うのは創りはじめて約100年後の平安初期。中金堂、西金堂、東金堂、講堂、五重塔、北円堂、南円堂。それから平安の末頃に三重塔もできますが、その少しあと1180年の平重盛による焼き討ちで全焼。これ以外にも何度も消失と再建を繰り返し現在に至ります。このうち中金堂、講堂と西金堂は江戸時代後期に消失したまま現在はありません。中金堂は来年から再建工事がはじまる予定で、完成後のバーチャル映像を最後の展示室で見ることができます。西金堂は、もともとこれだけの仏像が安置されていたお堂でありながら、幻のお堂なんです。それで西金堂の内部がどんなだったのかイメージしてみよう〜というのが今回の展示の目的、といってもいいんじゃないかな? 

というわけで、ここからは展示レポではなくて、私が展示を見てから本で読んだ(「阿修羅展」については何冊かの本が出ていますが、私はそのうち「芸術新潮三月号ー阿修羅のまなざしー」を読みました)内容も入れて、少しだけ「阿修羅展」を見るための呉女流解説(?)です。
日本でお寺や仏像がさかんに作られるようになるのは7世紀。いわゆる「飛鳥文化、白鳳文化」の時代です。それが8世紀に入って久々に遣唐使を出して勉強してきたところ、唐では「経典」が大事で、「経典」にしたがって仏像もつくるということが行われていることがわかった。それで「金光明最勝王経」という経典の中の一場面を仏像で表現したのが「西金堂」内部だったらしい、ということなんです。今も残るものでいえば、空海がつくった京都の東寺の講堂内部が曼荼羅を立体的に表した仏像群ですが、イメーとしてはあんな感じかなあ?と思っています。つまり阿修羅を含む「八部衆」も「十大弟子」もその経典の中の登場人物なんですね。その一場面というのは……
お釈迦さまが説法をする。その内容は「懺悔」に関するもの。もともとはインドの神々だった八部衆やお釈迦さまの十大弟子が集まってきて、その説法を聞く。一人の波羅門が金鼓を打ち鳴らす。その妙なる音とともに説法は諸人の心に染みわたっていく……
というような感じらしいのです。阿弥陀三尊の部屋の次の小部屋には、この内容を絵に描いた「興福寺曼荼羅」の写真があるのが参考になりますし、展示されている「華原磬」はこの「金鼓」にあたるもので、「八部衆像」たちと同じく創建当時から西金堂にあったとされる国宝です。イヤホンガイドを借りると華原磬の妙音を聞くこともできます。

さて、いよいよ二つ目の大きな部屋が「八部衆像」と「十大弟子像」。天平文化を代表する仏像群です。脱活乾漆造りという技法で、身長150センチ程度という呉女と同じ身長でありながら、体重は15キロくらいという羨ましくもない軽さ。この軽さこそが何度も火災にあいながらもそのたびに運び出され生き延びてきた要因といわれます。その貴重な仏像群はあーだこーだ言わずにそれぞれにご鑑賞ください。ちなみに私は前々から十大弟子像の中の須菩提さんのファンです。十人の中で一番若い、というのは今回知りましたが、そのボ〜〜〜っとした雰囲気が……いやいや失礼にあたるから、やめとこ……。
で、今回の主役、阿修羅さんだけが特別扱いでその次の別室を一人だけで占領し、私たちはその周囲をくるっとまわって鑑賞できるのです。ただし混んでいるので「立ち止まらずにご覧ください〜」状態ではあります。
須菩提さん贔屓の私としては、この展示を見る前は阿修羅さんに特別の思い入れはなく、最初は「アナタだけ特別扱いかいっ!」とかチャカしてたんですが、阿修羅さんのまわりをゆっくりまわっているうちに気が変わって、目がウルウルしてきて、その部屋を出てくるときには「さすが阿修羅さんはドラマチックだわ〜〜」と、思い切りファンになってました。
「阿修羅」はインドの最高神であるインドラ(仏教では帝釈天)に何度も戦いをのぞんだ暴れん坊。それが後に仏教に帰依して仏教の守護神の一人となった……というのはわりと有名な話。つまり戦う神ですから、その名の通り「憤怒」の表情で表現されることが普通なんです。ところがこの興福寺の阿修羅は三つの顔をもちながら、どれも全然怒った顔でない。この穏やかで静かな表情から何を読み取るも人それぞれでいいのですが、上の物語と合わせて考えると、ちょっとその謎が解けるかもしれません。釈迦の説法に聞き入っている阿修羅。しかも説法の内容は「懺悔」。もしかしたら、阿修羅が仏に帰依した瞬間かもしれません。異教の神が過去の過ちを悔い、新たなる自分への一歩を踏み出す……。
「天平の美少年」とかってそのイケメンぶりが強調されるから、何となく私は阿修羅に反発してたのかも。阿修羅の魅力はこの「振り幅の大きさ」(!)なんだわ……と私も悔いあらためてしまったのであります。その後、ダンナに自分の感動をあーだこーだと必死に伝えようとして「いわば武田に仕えた勘助さんみたいなものかしら??」「う〜〜ん。そうかぁ〜〜??」「あら、違う〜〜〜?」

さて、ここまでは創建当時から伝わるお宝たちでしたが、第3室は趣のことなる鎌倉期の仏像群です。平重盛に焼き討ちされて丸焼けになった興福寺でしたが、さすがは藤原氏の氏寺です。さっさと復興するんです。そのとき慶派の仏師たちによって作られた仏像たち。天平物の静けさとは全く違う躍動感。特に部屋に入ってすぐ、大きな四天王が四対、ところ狭しとそそりたっているのは、すごい迫力です。その奥にいらっしゃるのが、これまた大きな薬王菩薩と薬上菩薩。これら六体は現在、元の講堂跡にある仮金堂に安置されていますが、来年着工の中金堂が完成すれば、そちらにお遷りになられるそうです。最後に運慶作であることが判明した釈迦如来の頭部と仏手など。これは西金堂の本尊として復興され、阿修羅たちを従えていたらしいのですが、その後の火災で今のようなお姿に。
「仏頭」といえば、普段の阿修羅さんたちの安置場所である興福寺国宝館には一時東金堂の本尊だった白鳳時代につくられた仏頭があり、私が国宝館に行った際にはこの仏さまの前にいる時間が一番長いんですが、やはりずいぶん感じが違います。人間的なリアリティがあふれ、これからは武士の時代だぞっとでも言いたげな鎌倉期の仏たちの力強さ。これを感じていただいて、最後の部屋では前述の中金堂のバーチャルと阿修羅像の映像を見て、この「阿修羅展」は終わりになります。
ホントにシンプルで展示数は少ないんですよ。なのに、なぜか私たちはこの空間に2時間半くらいいたみたい(汗)。出てきて外が暗いので、時計を確認してビックリ!!
先日も書いたように金土日祝は8時まで時間延長。この延長された時間は比較的空いているようです。今のところは、ですが。

「阿修羅展」は東京国立博物館が6月7日まで。7月14日から9月27日までが九州国立博物館。その後、奈良に帰ると阿修羅さんたちもすぐには元の国宝館には入らず、10月17日から11月23日まで、今回お出ましくださった仏さまほぼみ〜んなで仮金堂にお並びになるそうです。
今回展示をみている間、周囲の人の会話で「興福寺は行ったことないなあ」という言葉を何度も聞いたんです。私なんぞは奈良の町に行くたび興福寺境内を「散歩道」にさせていただいちゃってますから「へぇ〜〜」と思っちゃいますが、考えてみれば団体さんで直接東大寺の駐車場にバスで入ってしまえば通りすぎてしまう。電車で行っても登大路を歩いてしまったら、やはりその横を通りすぎてしまう。意外に盲点なのかも。近鉄奈良駅から地上にあがり、東向き通りを少し南下すると、左に曲がる坂道がありますから、それを登ればもう興福寺境内です。境内を歩くのはタダです。人も歩けば鹿も歩く!!
機会があったら是非行ってみてくださいね〜〜。

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奈良県庁の屋上から見た興福寺。五重塔の手前が東金堂。その手前が国宝館。



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